庵主こばやしが経験してきた”子どもを授かるまでの過程”
そして現在の心境をつづっています。

現在進行形で苦しんでいる女性もきっと多くいるだろうから
わたしの経験が 誰かの役に立てれば、、という想いと
なぜまごのて庵が妊婦さんを施術しているのか、の理由が
ご利用される皆様に伝われば、、
と思いここに残します。

過去ミクシィに投稿していたものをそのまま転用していたりするため
読みにくいところもあると思いますが
今書き直してしまうと
当時の気持ちが伝わらないと思うのでそのまま転載しています。

この文章に出会った”子どもを授かれずに苦しんでいる誰か”の
助けになればと願っています。



「不育症日記」

2013-04-01 23:57:32

今日で まごのて庵は開業3周年なのです。

あたたかい皆さまに支えられて

楽しいなぁ~ と思っているうちに

あっという間に過ぎてしまいました

これはまさしく 心から思っていることです。

でも

それと同時に うち2年間は

私にとっては 人生で最も過酷なものだったと

思い返さざるを得ないのは

残念ながら 本音です。

今日、私の大切なお友達であり、人生の先輩であり

大事な”同士”から

「落ち込んで ネガティブで 愚痴っぽくなって苛々してたっていい。

 それだけのことがあったんだから」

という言葉をもらって

心の中で何かが解けました

そう

それだけのことがあったんだよね。 私。

そう思えたらようやく自分を許せた気がします。

なんだー 落ち込んでいいのか~。と

早々に立ち直ろうと必死にがんばったのですが

時間が経つごとにあまり美しくない感情が沈着してきて

ぶっちゃけ テレビやネットで「子育てのなやみ」なんてモノを

目の当たりにするたびに

どうしようもない想いが沸いてきて

コントロールできずに困っていました。

うん。

でも 落ち込んで当然なんだよね

あれだけ待ち望んだ息子を 失ってしまったのだから

先日 お友達が流産となってしまったのですが

その方と話していて

「流産の話って 経験者からちょろっと聞いてはいたけど

 具体的な内容までは聞いてなかったし、当然 あんまり詳しく質問できないし

 直面したときにかなり焦ったよね」

という話になって

かくいう私も 一回目の流産のときは

混乱して 思わず救急車を呼びそうになってしまったので

誰かの助けになるのでは?

という想いと

ちょっとだけ ”吐き出して楽になるかも”

という想いで

しばらく 私の経験した流産・死産のお話をつづっていこうと思います。

ブログタイトルは「不育症日記」とします。

大変痛苦しい 且つ生々しい話になると思います

興味関心の無い方は読まないほうが無難かと思います

今後他の記事にまぎれてチョコチョコ投稿していく予定ですので

ご注意ください。

2013-02-18 23:27:03

仁の月命日でした。

2回排卵を見送ったので
そろそろ、と思い
半年ぶりにかかりつけの産婦人科に行ってきたところ

不育症という病名をいただきました(汗

妊娠はするけど、育たない
不妊ならぬ不育症だそうで。

主治医のツテで、国内で唯一という不育症専門の婦人科の紹介状をいただき
これから様々検査をして、
その結果により、対策をうちながら妊娠をしましょう。
という話になりました。

混乱したアタマでとりあえず電話してみると、なんと半年先の予約になるとのこと

さすが国内唯一

ここに来て、始めて
同じ苦しみを味わっている人の多さに気がつきました

不育症の主な原因は
夫婦の染色体異常
血液が凝固しやすい
血栓ができやすい
などで

血液系統の問題が見つかった場合
投薬や注射で8割流産•死産を防げる。とのこと
染色体異常の場合、以前は打つてなしだったのが、最近受精卵を検査する事が法律で認められたことにより
体外受精のプロセスを経れば、産める可能性がでてきたそうで。

しかし
診断を受けた私の頭にあったのは
そういう統計の数値や自費診療になるその治療の平均予算のことよりも

半年も待たなきゃいかんのか?!

ということでした。

本音申し上げると
春までには妊娠する気でいたので

5月のオーケストラの演奏会も
ぶっちゃけ出れないつもりでいたし

お店もまたすぐ休業するつもりでいました(汗

が、しかし
ですよ。

半年待って検査しても
何も見つからなくて、
次の妊娠に向けて何も対処できないかもしれない

そしてなにも対策がなくても
あっさり産まれてくれるかもしれないし
逆に薬で予防したところで、
またまた流れてしまうかもしれない。

本音を言えば
病名なんてくそくらえ。と思う

不育症専門病院だって
ニッチなビジネスとしか思えない

私や旦那の精神衛生面を考えると
なるべく早く次のトライを始めたいところ…

たけど

主治医の先生を信じて託そうと思います。
あの人
あくまでもクールで
二回目までの流産は「だめな卵は何しててもダメだから。」
なんてサラッと言ってくれちゃったくせに
仁の妊娠が中期までもった時に始めて
「よかったね~」って心から喜んでくれたから

2013-04-03 23:20:48

これは 私と旦那と仁の 長いながいプロローグです。

仁のたましいは どうやら人一倍慎重派なようで

私が器を用意しても なかなか安心して入っていてくれません。

これまでに初期流産2回

23週での死産が1回

そして これからあと何回やり直すか分かりません

なぜだか

何度繰り返しても「無駄だった」とも

「経験したくなかった」とも言い切れない

とても不思議な体験だったこと

そして 世の中には私が思っている以上に

同じ経験をしている女性が多いということを知って

ブログに載せてみることにしました。

この世のどこかで

今まさに私と同じ苦しみを抱えている方がきっといる。

この苦しみを共感できれば 

間違いなく私にもその方にも救いになるはず

と信じて。

初めて仁がお腹に宿ったのは

31歳 震災の2ヵ月後だった

初めて目にした仁は ちいさい卵で

私にはこれが これからどうやって人間になっていくのか

想像もつかなかった。

正直 すべてが不安で まったく実感がなかったけど

気がつくと顔がにやけてて なんともいえない幸福な日々が続いた。

けど

一回目の検診が6週

二回目が8週

本来なら 心拍が確認できて当然の時期に 

仁はまだちいさな卵のままだった。

そして10週“繋留流産”と診断された

つまり、育たなかった。ということ。

赤ちゃんはまだお腹にいるけど もう生きてはいなくて

このまま出てくるのを待つか、掻き出す手術を受けるか 

選択を迫られた。

今思えば 何の疑いも無く産めるつもりでいたから

まったく 寝耳に水で

まったく 状況と真実を受け入れられないでいた。

「奥の部屋で泣いていってもいいですよ」と 看護師さん。

いやいや あの、まだ全然実感無いんで。

涙どころか言葉がでない。。。

手術はこわいし

というか まだ赤ちゃんが死んでしまったなんて、全然納得できてないから

「自然に出てくるまで待ちます。」と私。

本当は心のどこかで、”エコーに写らなかっただけ”と思っている自分がいた。

8週目に心拍が確認できなかった時

ネットで調べたら 子宮の形によっては 心拍が確認しにくいこともある。

とあったので・・

先生「3週間経っても出てこなかったら手術しましょう。

   突然ものすごい激痛と出血が始まるから、

   びっくりして救急車を呼ばないように」

ごめんなさい。先生

わたしあの時 まったく話を聞いてませんでした(汗

病院を出ると 来るとき振り出した雨が いつのまにか激しい豪雨に。

帰りながら 手持ち無沙汰だったので母に電話してみた

「ごめんねかあちゃん 赤ちゃん、死んじゃったよ~」

いい終わる前に涙が出てきたと思ったら、

止まらなくなった。

2013-04-06 23:53:04

妊娠10週で繋留流産と診断されて。

馬鹿な私は真実を受け入れられず

“もしかしたら今頃育っているのかも”なんて 

妄想を描きながら3週間たった。

土曜の17時頃 それは本当に突然始まった。

だーっっ という出血。

ほんと、だーーっっ だった。

ナプキンを換え換え必死で帰宅して 横になったのが19時頃。

その頃にはもう まともな思考ができないくらいの激痛になっていた。

今にして思えば、間違いなく”陣痛”だった。

最初は10分ほどの間隔を空けての痛みの波が来て

30分に一度くらいで「なんか出てくる!」となってトイレに駆け込む。

きばるというか、いきむというのか

トイレで唸っているとまた血が “だーっ”っと出で来る。

初の流産とはいえ 整体師のはしくれですから

自分なりにいろいろためしてみた。

骨盤を緩ませて開きやすくしてあげなきゃいけない。

仙腸間接を刺激して緩めて・・

痛みが増してきたら 米ぬか温シップで

子宮と仙骨をひたすら温め続けた。

これはかなり効き目があった。

温める。ということは 心を傾ける。ってことなんだな、と

遠くなる意識の中で考えた。

「私はあなたを気にかけているよ」って

カラダに伝える手段なんだ。

あっためてあげると なんだか痛みがちょっと柔らかになる。

うそだと思ったら生理痛で試してみて。

そんなで最初はなんとか歩いてトイレに行けていたけど

気がついたら トイレの両壁を思いっきり引っかきながら吼えていた

この時一番かわいそうだったのは 旦那だったなぁ。と思う。

一晩中付き合わされて・・・

なにせ とにかく不安だったので

一人になりたくなかった。

その日はもう夜通し痛みに悶えていたので

まったく寝れなかったのだけど

唸っている私の隣で 旦那はこっくりこっくり。

そのたびに私が揺さぶり起こしては「痛い~」と訴える。の繰り返し


旦那だってどうすることもできない(汗

それに加えて真夜中にトイレで吼えるもんだから 

ご近所さんに迷惑掛からないかはらはらしたりして・・

でもほんと、ひとりでなかったのは唯一の救いだったと思う。

2013-04-19 00:00:36

ここで、カラダを相手にしている整体師としてひとつ重要な学びを得た。

それは
「痛みは “怖がらなければ”怖くない」ということ。

波で襲ってくる陣痛によく似た痛み。

そして私はトイレで一人。

不安で 怖くて当たり前だけど

カラダに襲ってくる痛みだけは 

たとえばもし近くにお医者さんが居ても看護師さんが居ても

それを本当に受け取れるのは私だけ。

真夜中にトイレで吼えながら 私は「これは異常事態じゃない」と確信していた
これは 人間がニンゲンになってから ずっとずっと繰り返してきたことなんだって。

痛みは襲ってくる

でも これは私のカラダが正常に機能している証拠なんだ。

そう思って 深呼吸しながら冷静に痛みを観察してみた。

本当に痛いのはどこか  そしてそこが痛むのはなぜか

生理痛でも感じることがあるけど

(たぶん 腰痛や頭痛でもおんなじ。)

私たちは”痛み”を自分で増幅してしまうことがある。

それはひとえに「痛いのが怖い」からだ
どこが、どうなると痛むのか。
そしてそれは 何のためにおきているのか。

どうなれば痛くなくなるのか

冷静に想像をめぐらすと ほんと不思議なくらい痛みは変質する。

(和らぐ とは残念ながらいえませんなぁ “質が変わる”というか

 “意味が変わる”という感じ)

ほどなくして”なにか”がでてきた。
今にして思えばあれが胎嚢だったんだろう。

2013-05-08 00:35:17

今日の午前中のお客様は 久しぶりのご来院だったのですが

なんと、6ヶ月の妊婦さんになってました(^^

去年は妊婦フィーバーだったまごのて庵

ご来院いただいていた妊婦さんはみなさん無事に出産されたので

久々の妊婦施術でした。

は~ 妊娠菌移ったかなぁ。

なんたって

いよいよいよいよ!

不育症専門の病院 初診の日まで3週間を切りました!!

長かった~

なにせ 検査まで妊娠するな、だもん

不育症の女には 一番きつい状況だったんじゃないかしら

われらは妊娠なら わりとすんなりできてしまうので。

ようよう 耐えきりましたよ。

それもコレもお仕事と

オーケストラの存在のおかげだと思います。

オケの本番も あっという間に一週間前(汗

コレのおかげで 長い長いと感じていた半年が

過ぎてみればほんとあっという間。と感じられました。

さて

世の中のベビ待ちのみなさまに送る

私の体験記”不育症日記”第4弾です。

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後々、流産を経験した友達に聞いた話。

病院によっては 病理解剖するから 胎嚢が出てきたらとっておいてって

いわれるところもあるらしい。

その子もやはり繋留流産で、
彼女の場合、

「手術は子宮を傷める可能性があるから、陣痛促進剤で出します。」
ということだったらしい。

手順は普通の出産とほぼ同じで

海綿を入れて子宮口を開いて、促進剤を使って後は自宅で出す。と

陣痛が始まってしばらくしてから病院に電話したら
「胎嚢が出てきたら、いちおうとっておいてください」と言われたそうで・・

しかも どうやってとるのか聞いたら

看護婦さんも「さあ・・・」って感じだったらしく・・・

ちなみに、仁の初めての器は 

いまごろ土か海に還って循環しているところでしょう。

のちのち 他の方のブログなどを読んで

トイレットペーパーなどで受け取って

大切に保管して

落ち着いたら燃やしたとか、庭に埋めたとかいろいろと読んで

「えーっっ トイレに流しちゃったよー!!」

と、パニクッたのは言うまでも無い。。。

仕方ないですよ。初めてですから・・・今では笑い話(^^;

でも、正直な話

ほんと、そんなゆとり 無いですよ。

ものすっごい痛みと ものすっごい出血だから。

前回の話とは真逆になっちゃうけど、

窮地に立たされた時、“痛み”が人間を救うこともある。と思う。

ものすっごく痛い時 人間って「とにかく生きる」ことを考えるんだ

どうしようもない痛みを前に

その痛みに集中する。

出産もそうだと思うけど

流産や死産に「痛み」が無かったら 

時間が経っても 笑い話にはできないんじゃないかな。 とさえ思う。

そんなこんなで、一度目の妊娠はつわりをちょっと体験しただけで

終わってしまった。