2013-05-18 23:03:36

いよいよ!
不育症専門の病院の受診日が近づいてきました。
ついにあと10日。
なんと待ち遠しかったことか・・


長く苦しかったこの半年を乗り越えられたのは
再開してすぐに戻ってきてくれた常連のお客様たちと
オーケストラの存在のおかげでした。

お父さん・お母さんに近い年代のお仲間たちは
しんどかった私に
“こんな時だからこそ、音楽でしょう。”
と、励まし 勇気付けてくれました。

次妊娠したら 休団になる。という状況なので
演奏会の出演は、これでひとまず最後、ということになりました。

人生初の長い長いステキなソロを体験した今回の演奏会は
私にとっては最高のプレゼントでした。

もう思い残すことは何もないさー!



・・・

この世のどこかに居るであろう
流産、死産の体験をされた女性たちに送る
私の体験記録
「不育症日記」

第5弾です。


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正直、あかちゃん(というか、唯一認識できたのは胎嚢のみ)
が出てくるまでは
流産したって意識は、あまり無かった。


寂しい。悲しい。という気持ちが無かったわけではないけど
なにせ”妊婦”として暮らしたのはほんの3・4週間だったので・・・


でもやはり落ち込むもんなのね


あかちゃんが出てきた次の日から
急にぱたりとご飯が食べられなくなってしまいました。


一回目の妊娠は、自分で振り返っても「アレはなかったかなぁ・・」と思うくらい
妊婦らしからぬ体の使い方をしていた気がする。

お酒やタバコは無いにせよ
体を冷やしたり、ちょろっと走ったり、重いもの持ったり。

三度目死産を経験した今だから言えるのは

それらは流産にはまったく関係なかった。ってこと。

だけど当時の私には 
ほんとにほんとに深く後悔したものだった。

周囲の人たちもみんな暖かく支えてくれたけど

なかには「○○しなければよかったのに」とか
「お腹の赤ちゃんは、お母さんが守ってあげなきゃ」
なんて傷口をえぐって塩を塗るようなことを
言ってくれる人もいたものだから


それから1ヶ月ほとんどモノがのどを通らず
何度と無く貧血とメニエル病に似た症状でぶっ倒れました。


だから私は言いたい!


あなたは精一杯やったよ
あなたは何も悪くない


ただ、赤ちゃんが準備できていなかっただけ。
だからどうか、あきらめないで


ベビ待ちの私たちはきっと
世界で一番 天国に近いところに(子宮が(^^;))居るんだから!

2013-05-25 00:10:55

き、  気合がたりん!


不育症 習慣性流産を専門に診てくれるという
横浜の杉ウィメンズクリニックさんの紹介状をいただいて
早半年。

暗黒の日々を乗り越えてようやく
”妊娠してもいい”時期が近づいてきてる
というのに。

危惧していたとおりやってきました 例の恐怖心。


幸いなことに、私は妊娠だけなら できるので
きっと、そう時間もかからずに授かることができるんじゃないかと思っているけど

問題はその先で。

今までなら”とにかく安定期に入ってしまえば・・・”
を頼りに妊娠初期を過ごしてきたけど

今度は安定期に入ったところで
むしろ前回を思い出して不安になるだけなんじゃないかってのが
頭から離れない。


死産の診断から出産までの数日
お風呂に入るたびに膨らんだお腹をみては
“この中の子は、もう生きていない”
という言葉を いやというほど頭の中で聞き続けた。

産んだ後はとにかく
そのお腹を見たくない一心で 必死になって引き締めた。

コレがまた膨らんだとき
はたしてまともで居られるのか。


こんなとき、祈る神様が居ればちょっとは楽なんだろうけどね。


今夜も
この世のどこかで同じ想いを抱えているであろう同胞たちに
私の不育症体験記 6回目です。

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流産をしてた人が一番怖いのは
“次また同じことを繰り返すんじゃないか?”ってとこだと思う。

聞いた話では、二回連続流産って 
そんなにレアケースじゃないんだって。

そしてそれは、私にも起こった。

二回目の妊娠は、前の流産から半年後阿呆な私は、
半年前の苦しみをすっかり忘れて浮かれていた。

なのに
、妊娠発覚から2週間後には 出血が始まってしまった。

前回のこともある。
そして少量とはいえ出血が続いたのでもう、
食事とトイレ以外はとにかく安静にすごした

6週目でいったん出血が収まり、
そのタイミングで2度目の検診心拍が確認できた。

妊娠初期は、毎晩のようにネットで検索しては
いろんな角度からの情報に一喜一憂していた。

その中で
「心拍が確認できれば 初期流産の確立はぐっと下がる」
という記述を多々目にして、
少し希望を持っていたけど

ちょうど8週目の土曜の夜二日後に検診を控えた状態で、
突然多量の出血が始まってしまった。

だめだ。とカラダで感じるでも
、「赤ちゃんはまだ生きてる  助けて!!」旦那にしがみついて泣いた。

1時間後 夜間救急で診てもらうことができたが
診察台に乗ったところで 
「胎嚢がでてきています」と。

まあ、ぶっちゃけ その時には痛みで意識がトンでたんだけどね。

「念のため病理解剖に回します」
と胎嚢はチラッと見ただけでそのまま回収されてしまった。

2週間後、子宮の様子の検診
と検査結果を聞きに受診したけど
当然胎嚢が返されるなんてことはなく

二回目の仁の器もきっと 
他の医療廃棄物とともに還っていったのでしょう。

2013-06-20 00:47:48

杉ウィメンズクリニックの診察が終わりました。

あれほど長く感じた 初診までの待ち時間も
過ぎてみればやはり”必要だった”と思えてならないのが
本当に不思議。

半年経って ようやくちょっとやそっとじゃ泣かなくなりました。
人間ってたくましい。


死産のあと産んだ病院で受けた血液検査と
主治医のところで受けた染色体の検査
それに杉ウィメンズクリニックでの精密検査と卵管造影で
合計20万ほどかけて 出た結果は
“グレー”

白ではない。でも黒とも言えない。

杉先生のところでできる検査はここまで。ということで
今度は日本医科大学付属病院の紹介状をもらいました。
最後に考えられる要因は 子宮の形状が良くないことだそうで
悪くすれば子宮の手術を受ける。という選択肢も考えられるとのこと。

しかし最後に杉先生は
「ま~正直僕は これ以上の検査は無しで
 次挑戦しちゃってもいいと思うけどね」

と。
つまり大枚はたいて出た答えは
“仁が死んだ理由は わからない”ということだった。

う~ん。さすが我が息子。
あんたやっぱり自分の意思で帰っていったんだね。
よしよし

もらった紹介状はそのまま。
予約を入れるかどうか迷いに迷いながら
次の排卵日が近づいています

いい加減悩むのに飽きてきたこのごろ
ちょっと間が開いてしまいましたが
不育症日記第7弾です
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二度目の妊娠は ちょうど8週目の流産だったので

ほんとあっという間で

悲しくないかと思ったけど まさか。

“産んであげられなくてごめんね”

その言葉が、頭から離れなくなってしまった。

私に不育症・習慣性流産の専門病院を紹介してくれた主治医は

「流産も3回連続となるとかなりのレアケース」といってたので

2回までなら、わりと居るってことなんだと思う。

同じ経験をしているひとには分かると思う。

2回流産すると、もう”産めない”イメージしか描けなくなってしまう。

2回目の流産を超えて私は

「私のカラダを通さなくても 今日も誰かの子宮から

 新しい命が生まれている」

と、妙に納得してしまっていた。

それまでずっと”自分が生むこと”に執着しまくっていたのが
おかしく思えて仕方がなかった。

本当に悲しいのは”私が産めなかった”ことじゃない
“赤ちゃんを産んであげられなかった”ことだった

お腹の赤ちゃんに
空気の匂いを感じさせてあげたかった
空と海を見せてあげたかった
鳥の声を聞かせてあげたかった

この世界はこんなに美しいのに
すべてを感じさせてあげることができなかった

私のカラダにはどうやら欠落があって
なかなか赤ちゃんを ちゃんとこの世に産んであげることができないなら

どうか もっとスムーズに産んであげられるお母さんのお腹に宿って頂戴

心のそこからそう思った。


もし、このまま産めないとしたら
初めてその現実をリアルに受け止めた。

もし子どもを産むことができなかったら
私は何を目的に生きたらいい?
そう思ったとき 出てきた答えは非常にシンプルだった。

“赤ちゃんに感じさせてあげられなかった世界の美しさを
 自分の細胞に存分に味わわせてあげればいい。”
赤ちゃんは 元はといえば
私と旦那の細胞のかけらだったんだから

その事に気がついた私は
早速休止していたパラグライダーを再開することを決めていた。

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